蟹の慰めの書

本の感想などを綴っていきます。

一者からの世界の流出について

 

新プラトン主義を学ぶ人のために

新プラトン主義を学ぶ人のために

 

本日読み終えた一冊。

 

プラトン主義は誕生以来、キリスト教の理論づけに応用されたりしながら変化してきたそうだ。

全般的に資料が乏しく研究は難しいらしい。

 

世界を、一者という存在からの流出として捉える点は新プラトン主義者に共通している。

そして、なぜ単一の存在からかくも複雑で多様な世界が生み出されたのかという点が新プラトン主義的な世界観にとっての課題である。

プラトン主義者は、様々なバリエーションがあるがこの点を階層構造によって説明している。

例えばプロティノスの場合なら、一者→知性→魂→質料という構造で説明している。

イアンブリコスやデュオニュシオスだと人間と神の間に様々な位階の天使が挟まってくる。

天使についてはシュタイナーの『天使と人間』を読んだことがあるのだが、どういう根拠で不可視の存在のランクが考え出されたのだろうか。霊感かなあ。

 

天使と人間 (シュタイナー天使学シリーズ)

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  • 作者: ルドルフシュタイナー,松浦賢
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一者がどういう意図を持って世界を創造したのか、という点についてはあまり触れられていなかった。

一者というか創造主が完全な善なら、世界に悪が存在する理由は何なのか。この点は創造主たる父を絶対善とするキリスト教にとっての大問題で、その矛盾を突いたグノーシス派が支持を集めたりしている。

自分は一者は完全な善でも完全な悪でもなく、空想好きな普通の人間とあまり変わらない存在で、悪が存在した方が面白いから悪が存在すると考えたら説明がつくんじゃないかと考えている。創造主の無限の愛を信じたい人間にとっては受け入れがたい説かもしれないけれど、そんなに溺愛されているなら人類全員既にハッピーじゃなきゃおかしいわけで、神の愛というのはだいたい作家の創作キャラに対する愛程度なんじゃなかろうか。

ならばその創作での役目を終えた、すなわち死んだ人間の魂というのはどうなるのか、というのがどうしても考えてしまうところで、同じ或いは別の創造主の作った世界の中で使い回されるのか、それではあまりに不憫すぎるから自分で世界を創造する選択肢が与えられるのか。またはそのどちらでもなく、先に挙げた存在の階層構造を少しずつ上昇していくのかもしれない。

いずれにせよ死んだ後に何も無いのは魂にとって不自然、みたいなことをシュタイナー先生が言っていたのを見た時に確かにそうだなあと思ったし、魂の不死性というのはなんとなく信じるに値する観念だと思っている。